宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会(JCC)


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宮城県南三陸保育支援プロジェクト
今こそ、日本の子ども支援に立ち上がろう!!
―東日本大災害に対して心からのお見舞いと篤い支援を届けよう!―
NPO法人宋慶齢基金会日中共同ぷロジェクト委員会
代表 諏訪きぬ
2011年5月2日
 当会は、一貫して日中友好を目指し、中国の貧困地区の子どもへの教育支援と母子保健支援を行ってきました。四川大地震に際しては、被災児支援のワゴウ車<移動少年宮>を当会の救援として贈りました。
 しかし、3月11日、突如、わが国を震撼させたマグニチユード9の大地震、町も人も呑み込んだ巨大津波、さらに福島第1原発の事故は、わが国の状況を一変させてしまいました。
 長年共同活動を推進してきた中国宋慶齢基金会、上海宋慶齢基金会からも丁重なお見舞いと同時に、災害支援へのお申し出を戴きました。そこで本年は、中国貧困地区支援を一時中止して、日本の被災地の子どもたちへの支援に立ち上がることを、4月16日の会議で決めさせていただきました。
 多くの災害孤児が生まれ、多くの幼稚園・保育園が壊滅状態にあります。施設設備や教材・教具、絵本や遊具を揃えていくことだけでも、多大な経費を要するでしょう。ようやく災害復興に立ち上がりはじめた大人たちを支援するために保育を支援することは重要な手立ての一つと考えられます。会員・支援者の皆様とともに災害地の保育の復興を手助けし、幼子の心を癒し、親たちの復興への意欲を支えていきたいと思います。どうぞ趣旨をお汲み取りいただき、ご支援をお願い申し上げます。
 現段階では、未だ保育被害の全容を掌握し切れていませんが、日毎確かな情報を探し、適切な支援の道筋を立てて行きたいと考えます。すでに保育を再開した地域もあるようですが、まだまだ日々の生活物資を行き渡らず、安らぎな無い暮らしを続けている方々や子どもたちも多いことも実情です。しかし、子どもは日々生育し、心身の栄養と保護を必要としています。「子どものことは、待てない」と、宋慶齢女史が常々口にされていたことを思い起こします。
 できるだけ早く、然るべき現地の方々と連携して、被災地の子どもたちの育成ー保育を励まし、支援する具体的なプロジェクトを立ち上げ、皆様にお知らせしたいと思います。
 皆さまの熱いお心ご支援をお寄せいただきますようお願い申し上げます。


宮城県南三陸保育支援プロジェクトについての中間報告
2011年5月17日2011年5月28日2011年6月1日2011年8月5日

2012年10月20日NEW!!

2011年5月17日(火曜日)
 宮城県南三陸保育支援プロジェクトについての中間報告(一)
NPO法人宋慶齢基金会日中共同ぷロジェクト委員会
代表 諏訪きぬ
2011年5月17日
 さる5月2日の臨時事務局会議において、東日本大震災緊急支援プロジェクトの支援先を宮城県本吉郡南三陸町の保育支援に決め、「為了明日」20号の中にその旨も記して、呼びかけをいたしました。

 南三陸町を支援先に選定した理由は以下の経緯によります。
 宮城県本吉郡南三陸町は宮城県北東部に位置し、東は太平洋に面し、南は石巻市、西は登米市に接しています。3月11日の未曾有の大津波で、一瞬に町がなくなってしまった町として報じられています。役場職員も30数名がなくなっており、5月17日時点においても、電気も水道も復旧できていないところが多いとのこと。仮役場はかろうじて電気が引かれ電話が入った状況だということです。  今なお千人を超える町民の安否がわからず、1万人の町民が避難生活を送っている人口は約1万8千人の町の惨状です。

《支援候補とする理由》

  1. 隣接の登米市が南三陸町の避難先になっており、登米はJCC前副代表須藤れいさんのふるさとであり、JCC会員も墓参に訪れ、地縁があること。
  2. 支援先として紹介をお願いしていた玉川大学鈴木牧夫教授(宮城県出身・元東北大学勤務)から、南三陸町立志津川保育園主任三浦房江さんをご紹介いただいたこと。
  3. 小学校入学式も被災地の中でも南三陸町がもっとも遅かったように、今なお保育施設全ての保育が実施されていないこと。
<南三陸町の幼稚園・保育所の状況>
  1. あさひ幼稚園(私立):ユニセフの支援により園舎再建に取り組むという話が出てきているとのこと。
  2. 公立保育所 (H21・3現在)
    *志津川保育所(定員120人 児童数123人):建物は残存
    *伊里前保育所(定員60人 児童数68人 ):建物は残存
    *名足保育所(定員60人 児童数44人):建物は残存
    (上記 の3か所での保育の再開を目指す)
    *戸倉保育所(定員60人 児童数38人):流出
    *荒砥保育所(定員30人 児童数20人):流出
 保健福祉課こども家庭係首藤周(チカ)さんの話によれば、とにかく建物が残った3保
育所での保育再開の目処を6月においているが、未だに電気、水道が復旧していないため、はっきりした見通しが立てられない状況にあるとのこと。教育施設としては、他に、小学校5(志津川・戸倉・入谷・伊里前・名足)、中学校4、高等学校1が設立されていた。


 
  すでに保健福祉課こども家庭係から保育再開に必要となる保育遊具のリストが届いています。遊具選定に配慮しつつ、出来るだけ現地の要望にそったものをお届けできるように努めていく所存です(5月18日業者と面談予定)。

2011年5月28日(土曜日)
 宮城県南三陸保育支援プロジェクトについての中間報告(二)
NPO法人宋慶齢基金会日中共同ぷロジェクト委員会
代表 諏訪きぬ
2011年5月28日
 皆さまの熱いご支援により、南三陸町の保育再開に間に合わせる形で、先方より要望のありました保育用品を6月1日(水)に、諏訪代表、井上副代表の2名が南三陸町へ直接
お届けできる運びとなりました。
 その経緯を簡単にご説明させていただきます。
  1. 5月14日(土):中国講座の合間を縫って行われた事務局会議で、支援金の状況も勘案して、南三陸町への緊急支援として、100万円を拠出することを決定。
  2. 5月17日(火):南三陸町支援プロジェクトについての中間報告をまとめて送付。
  3. 5月18日(水):本多ジャクエツ所沢支店長と面会し、南三陸町からの依頼の保育用品を、よりよい品物でより数多くそろえてほしいと依頼。その際、ジャクエツ所沢支店としても支援の一環として、注文の品を取り揃えて南三陸町まで送り届ける用意がある旨、申し出を受けた。保育用品調達の方法としては、基本的にはジャクエツ製の品でそろえることとし、価格的に折り合わないものは他社製品とする。また見積りより価格を引き下げた分は、砂場遊び等の遊具を多種そろえる方向で努力する。この方向で見積りを依頼。
  4. 5月20日(金):南三陸町からの要望の品々の上に、数種類の用品を取り揃えた見積り書が届き、その内容を了承し発注する<資料1参照>。
  5. 5月21日(土):玉川大学を会場に開催された日本保育学会第64回大会に出席し、昼食を全国私立保育園連盟研修部の方々に誘われ同席。その席上、南三陸町支援の経緯を話して支援を仰いだところ、ペガサス夜間保育園長安達和世さんから「法人でいくらか支援のための用意があるので、南三陸町の保育再開を応援したい」旨の申し出があり、南三陸町へ連絡を入れる。三歳未満用品として「安全な積み木」などの申し出があり、安達園長に連絡する。
  6. 5月22日(日):南三陸町からの要望の品を含め、10万円相当の未満用保育用品をジャクエツ横浜支店で調達し、6月1日の南三陸町訪問に間に合わせるとの返事が安達園長よりメールで届く。また状況によっては、現地に保育者を派遣することも検討しているとのことであった。
  7. 5月23日(月):本多支店長より、注文の品々は6月1日までにすべてそろえられる見通しがたったとの連絡入る。
  8. 5月26日(木):本多支店長より、社の内部調整の結果、全ての発注の品を仙台支店で一括して現地に運び込みたいとの申し出あり。6月1日には、こちらから出発した車と仙台支店のトラックと2台で南三陸町に入ることにしたいとのこと。了承する。 簡単な6月1日の「道のり」表届く。
  9. 5月28日(土):ここまでの経緯を井上副代表に伝え、同行の可否を問うたところ、当日は同行できるということになり、本多支店長に車の乗員について問い合わせ。「もう一人であれば大丈夫」ということで、井上副代表とは仙台で合流して現地入りすることにする。疲れ対策として、諏訪・井上は6月1日仙台で1泊することに決める。
  10. 5月28日(土):南三陸町立志津川保育所三浦主任にこちらのスケジュールを連絡。何点かの問い合わせをする。
  • 1)用品の搬入場所:南三陸町立志津川保育所(登米の方向から入れば、方向指示が出ているとのこと。高台にあったため、この保育所は難を免れたとのこと)。
  • 2)保育再開の目途:ようやく再開予定3園のうち2園まで水道も通ったので、6月10日に保育再開をする予定。それまでは中学校や小学校の体育館や空き教室を使って、出前保育をしている(新聞記事参照)
  • 3)訪問当日の予定:再開予定の3園を見回ることが出来る。再開に当たる保育スタッフは、正規職員だけでも30名くらいはいるとのこと。
  • 4)訪問時の注意事項:道路にあった瓦礫はほぼ撤去をおえているので、ヒールのない普通の靴でよい。水道も出だしたので、トイレなどの心配もしなくてよい。水も用意してあるので、心配は要らない。コンビ二も営業を始めており、必要な品も少しずつ入手できるようになってきた。服装はズボンに長袖シャツ、それにジャケット程度は用意した方がよい。

2011年6月1日(水曜日)
 宮城県南三陸保育支援プロジェクトについての中間報告(三)
NPO法人宋慶齢基金会日中共同ぷロジェクト委員会
副代表 井上睦子
2011年6月1日
6月1日、諏訪代表と南三陸町に保育用品を無事届けてきました。
添付の写真のように、志津川保育園のある高台から見た中心部は壊滅状態でした。
道路の瓦礫は撤去されていますが、どこを見ても瓦礫の山でした。

それでも、10日の保育園の再開を目指して、保育士さんたちは本当にたくましく、明るく頑張っておられました。
津波が迫る中、保育園で一緒に避難した子どもたちは皆無事でした。

保育用品はとても喜ばれました。
瓦礫の中を通園してくる子どもたちにとって、楽しい保育園生活を送ってもらいたいと思います。

メーカーのジャクエツからは、所沢支店から2人、仙台支店から3人が同行され、仙台支店がトラック一台分の保育用品を運んでくださいました。
まずは、簡単なご報告まで。
瓦礫の山 瓦礫の山 保育士さんたちと一緒
 
保育士さんたち 保育士さんたち  


2011年8月5日(金曜日)

 為了明天 臨時増刊号 2011・8・5南三陸町支援プロジェクト特集
片付けられつつある瓦礫 保育再開に緊急支援した遊具 がんばろう! 南三陸
こちらでダウンロードして下さい


2012年10月20日(火曜日)

 南三陸町保育施設再建支援についての報告(四)
NPO法人宋慶齢基金会日中共同ぷロジェクト委員会
2012年10月20日
 過酷な残暑もいつの間にか治まって、木々も徐々に秋の装いを始めました。陸奥・南三陸町では、紅葉のペースは急速で、朝夕の冷え込みも厳しくなっていると思われます。3・11の大震災・大津波災害から早や1年7か月が経ちました。7月に3度目の訪問をしましたが、屋根に乗った船や押しつぶされた車、家々の瓦礫は取り除かれてはいるものの、がらんどうの建物は取り残され、伸び放題の夏草の空き地が広がっている殺風景な光景からは、「復興未だし・・・」の感はぬぐえません。
  しかし随所に復興への歩みが見え始めているのも事実です。南三陸町役場の建物もバラックの仮設からしっかりした建物に建て替えられていましたし、移動コンビニもまだあちらこちらで見かけましたが、仮設の復興市場には、海鮮丼を出す食堂もでき、名物の蛸や各種の刺身、魚を置くお店も営業を始めていました。役場の隣には、流された境内に残った樹木を生かした・・・というモダンな幼稚園も完成間近な姿で出現していました。またホテル海洋も営業を始めており、美しい南三陸の海の風景も一部甦っているようです。本報告では、当会の南三陸町支援の進行状況について川崎高志代表理事・井岡健副代表・諏訪きぬ副代表の3人が、7月26日に日帰り強行軍で南三陸町を訪問した模様を中心にお伝えし、皆さまのさらなる南三陸町支援をお願いしたいと思います。

出発
美しい海よ!再び
(ホテル海洋HPの写真より)
  東北新幹線くりこま高原駅前でレンタカーに乗り込み、一路南三陸町を目指して398号線ひた走ります。運転は井岡さん。途中、故須藤元副代表の故郷登米市の役所に立ち寄り、当時の南三陸町支援の状況や登米町の状況についてリサーチ。再び398号線を走ることおよそ1時間、山道を抜けて海の見える海岸線へ出ました。そこには営業を開始したホテル海洋が復興のシンボルとして立派に建っていました。




佐藤町長との会見

佐藤町長長さんと会見するまでの間を縫って、復興市場に案内してもらいました。そこは毎週土曜日・日曜日に復興市場が開かれて、県外から大勢の支援の人々が集まって来ています。私たちも復興への祈りを込めて、復興酒や復興のファイルを買い求めました。
その後、新設なった町役場の町長室で佐藤仁町長さんと会見しました。求められれば日本国中どこでも行って窮状を訴えるという佐藤町長さんは、日々ハードなスケジュールをこなしておいでのようですが、疲れを見せない快活な姿で私たちを出迎えてくれました。上海宋慶齢基金会から送られた保育施設再建支援金200万元を届ける手続きとして川崎代表から「プロジェクトの協定書」と「贈呈目録」を手渡し、復興計画の進捗状況について伺いました。さらに上海から送られた園児の絵を紹介し、南三陸の園児さんたちの絵もいただいて交流したい旨、申し入れも行いました。
目録の贈呈 復興の計画は…
南三陸町の地図を広げながら復興計画の
進捗状況を伺いました!


志津川保育所訪問

上海宋慶齢基金会からの支援は、2年後に再建される戸倉保育所の建設計画に使われる予定です。当会も完成までしっかり支援を続けていきます。
 ぽつんと小高い丘の上に取り残された格好となった志津川保育所を訪問し、佐藤園長に、その後の保育所のお子さんや保育の状況などについて伺いました。園舎内には、さまざまな額や絵が掲げられ、贈呈者が明示されています。支援団体からの支援状況が一目瞭然になるように工夫されているのです。
 お子さんたちは、徐々に落ち着いてきてはいるものの、仮設住宅は狭く外遊びもできないので、保育所の生活では、遊びを主体にして子どものエネルギーを上手に発散させることに意を用いているとのこと。子ども向けの絵本などはたくさん届けられているけれども、保育者向けの専門書などが少なく不足している、また親の状況が不安定なので、相談業務が増えて保育者の負担がますます重くなっている、どこかで支えられないと心配だと話されていました。とはいえ、事務室も整えられて、少しずつ保育所内も落ち着いてきているように感じられました。



子育て支援センター&学童保育所を訪ねて
  訪問の最後は、志津川小学校の敷地内に新設された子育て支援センターと学童保育所でした。昨年6月には子育て支援センターも流されてしまった・・・と意気消沈していた及川さんが、そこに復帰してはつらつと仕事に励んでいる姿が印象的でした。すでに夏休みに入っていたため、学童保育の児童が大勢集まって来ており、学童保育と子育て支援センターに来た親子とが同室で活動していました。学童たちが母親の連れてきた幼児の相手をしてくれたり、幼児の母親がニコニコと学童たちの活動を見守ったり・・・、他所ではなかなか見かけられない風景でした。学童保育のお子さんたちに川崎代表がパンダの絵ハガキをプレセント。記念写真を撮りました。
学童保育所の子どもたち 遊んでもらえて助かるの!
 


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